人が生きるために必要なもの
それは
酸素と水と栄養と
自分ではない大切な誰か
精神分析学者のフロイトが
「意識のあるこころは単なるうわべであり
人は脳の中で実際におきている90%に全く気付いていない」と語ったように
私たちは自分自身で思っているほど自分の運命を
自分の管理下に置いているわけではなく
自然法則(神の意志でも)に沿って
生かされている存在でもあるのでしょうね。
思考は現実化するというのであれば
自分自身の意識によっていかに自分の人生が
作り出されているのかを確認していくことが
人生にとっては大切なのかもしれません。
本当は自分の中の無意識のささやきに
耳を傾けることが大切なのですが
人は大抵の場合、対人関係の中で自分の存在を確認していきます。
自分の生きた証が、自分一人の中で自己完結的に
感じられればそれでもいいのかもしれませんが
現実には、仕事であれば他人からの賞賛は気持ちの良いものですし
特に子供であればパパやママから褒められたいのです。
社会の中での賞賛ももちろんですが
社会集団の最小単位としての家族の中での意味というのは
自分の人生を考える上で最も大切なものであり
人は自然とそこに価値を見出していくのかもしれません。
ある映画の中で主人公の男性が
他人にとっては何の意味もない
亡き母の形見の70年代のヒット曲を集めたカセットテープを
危険を冒してまで取りに行く場面があります。
『なぜそんなものを取りに行くの?』
『大事なものなんだ!』
大切な人との思い出はいつまでも残りますし
何が何でも残したいものです。
これが人と人との絆を深めていく事であり
何ものにも囚われず、自由に生きていくのは
何の基盤(拠り所)もないということでもあるので
それが果たして良いのかは疑問です。
守るものが自分自身以外に何も無いのはなんだか悲しいですし
大切な人のために何もできない存在になってしまうことほど
寂しいことはないと思うのです…
二人の子供も成人し
今では私の後をついて回るのはこの子だけになってしまった…
危機管理能力ゼロ…苦笑
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