母の付き添いで1ヵ月に1度の病院通いを続け
早10年・・・
待合室に座って廊下を行き来する
患者さんとその家族をながめていると
それぞれの方の人生の軌跡が感じられたりします。
小さなお子さんを抱っこされているお母さんであれば
どんなに心配されているだろう…とか
ご老人であれば人生の最後は穏やかに過ごせればいいのに…などと
色々な想念が浮かんできます。
誰でも好きで病気にかかったり
怪我をする人などいないでしょうが
その病気や怪我が重大であればあるほど
それを受け入れるための心の覚悟が必要になってきます。
こうなると子供だからとか大人だからとかいう問題ではなく、
その人それぞれの人間としての大きさに
かかってくるのかもしれませんね。
人間の精神はその肉体に従ってしまうと言われるように
どんなに高潔のように見える人でも
大病にかかり身体の具合が悪くなれば精神を病んでしまうこともあります。
けれどこれを乗り越えていくことができるのも
人間なのかもしれません・・・
春に生まれてすぐ医師から『夏までは生きられません』と言われた我が子に
夏を知ることができるようにという願いを込めて
『知夏』という名前をつけたご両親のエピソードに触れた時には
子どもの大病を経験した私には他人事とは思えず、
親ってそういうものなんだと、つくづく感じました。
そんな事を思うとき、
今の医療技術をもってしても仕方がないと
頭ではわかっていてもあきらめきれない
そんな合理的な理屈をこえたところに祈りがあるという思いに至ります。
自分ではどうしようもない状況に直面したときに神に祈る…
これを理不尽だと笑うとしたら
それは人間として成熟していないのかもしれませんね…
日もだいぶ長くなり
一日中缶詰め状態の建物から出てみると
まだかろうじて明るいオフィス街…
大きな深呼吸をひとつして
母と愛猫が待つ我が家へと急ぎます。
知識や技術だけでは解決できないことがこの世には沢山存在し
また私にわかることも何もないのだと思う時
アインシュタインの言葉がふと頭をよぎります…
「簡単な解決策が見つかったら、それは神の答えだ」
神でも、光でも、普遍意識でも
大霊でも、守護霊でも、大いなる自分でも
目には視えない、大きな力に守られていると感じつつ
今日も一日無事に終わることに感謝の祈りを捧げます…
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