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霊性開花講座 ~普遍的真理の学び~ ③

何事であれ、最終的には自分で考える覚悟がないと
情報の山に埋もれるだけである
~羽生善治~

 

 

スピリチュアリズムにはたくさんの救いの道が示されています。
分を愛してあげましょう…
自分を許し、癒やしてあげましょう…
分らしく生きていきましょう…
ハートのチャクラに聞いて好きなことをしていきましょう…等々

私もスピリチュアリズムを学ぶことで実際救われたところは多く、
霊的真理を僅かながらも知ることによって生きやすくもなり、
また強くもなれました、それは紛れもない事実です。

けれど、この世は相対の世界です。
表裏一体、コインの表と裏、2つでひとつの世界観です。
スピリチュアリズムを学び、救われたこともたくさんありましたが
知識には責任が伴いますので、霊的真理を手に入れるということは、
同時にそれなりの責任も負うことにもなります。
知らないでやるのと、知っていてやらない
あるいは、やるというのとでは、全く違います…

ドクターが医術を学び、それを人の命を助けることにではなく、
の反対のことに使えば、他の人より重い責任が問われます。
霊能力も権力と結びつくと…?というところもありますが、
ここに関しては、ブログではこれ以上掘り下げることは控えます。

私にとってスピリチュアリズムは単なる幽霊学ではなく、
人生哲学です。
霊的真理を手に入れて、
それを人生だったり日常生活にどう生かしていくのかが
問われることに繋がると思うからです。

私たち人間は、物事を理解していくとき、
実は対比することでしか深く理解できません。
健康のありがたさは病気になって初めてわかる。
光は闇の中で知る。
人を好きになったことのない人に失恋の傷みはわからない。
対極にあるものを知ることで、そのものの理解が深まっていきます。

その観点から、あの世を知ることは、
実はこの世を知ることにつながっていく・・・
この世で生きるということがどういうことなのかを知っていく、
その一つの手がかりが
スピリチュアリズムにはあると思っています。
そういう意味でも、私にとっては人生哲学です。

 

霊性開花講座 ~普遍的真理の学び~ ④

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