何事であれ、最終的には自分で考える覚悟がないと
情報の山に埋もれるだけである
~羽生善治~
スピリチュアリズムにはたくさんの救いの道が示されています。
自
自分を許し、癒やしてあげましょう…
自
ハートのチャクラに聞いて好きなこ
私もスピリチュアリズムを学ぶことで実際救われたところは多く、
また強く
けれど、この世は相対の世界です。
表裏一体、コインの表と裏、2つでひとつの世界観です。
スピリチュアリズムを学び、救われたこともたくさんありましたが
知識には責任が伴いますので、霊的真理を手に入れるということ
同時にそれなりの責任も負うことにもなります。
知らないでやるのと、知っていてやらない
あるいは、やるというのと
ドクターが医術を学び、それを人の命を助けることにではなく、
そ
霊能力も権力と結びつくと…?というところもありますが、
ここに関
私にとってスピリチュアリズムは単なる幽霊学ではなく、
人生哲学
霊的真理を手に入れて、
それを人生だったり日常生活にどう
問われることに繋がると思うからです。
私たち人間は、物事を理解していくとき、
実は対比することでしか深く理解できません。
健康のありがたさは病気になって初めてわかる。
光は闇の中で知る。
人を好きになったことのない人に失恋の傷みはわからない。
対極にあるものを知ることで、そのものの理解が深まっていきます。
その観点から、あの世を知ることは、
実はこの世を知ることにつながっていく・・・
この世で生きるということがどういうことなのかを知っていく、
その一つの手がかりが
スピリチュアリズムにはあると思っています。
そういう意味でも、私にとっては人生哲学です。
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