ブログ・最新情報

ブログの一覧(2 / 4ページ)

電話カウンセリングについて

 

昨今の状況を鑑みて
オンラインアプリ ZOOM(音声のみ)を使用したご相談を承ります。
加えて、従来は30分枠のみでしたが、新たに60分枠を設けました。

30分 8,000円(電話カウンセリングのみ)
60分 15,000円(対面・電話共)

また、平日のカウンセリングも(対面・電話)承れる日がございますので
よろしければ、ご利用ください。

※ZOOMとは、パソコンやスマートフォンを使って
セミナーやミーティングをするために開発されたアプリで
無料通話も含まれます。
初めて使う際には、アプリのインストールが必要になりますが
こちらからお送りする招待URLから、簡単に電話カウンセリングがご利用可能です。

徒桜

願わくば 桜の下にて春死なん
その如月の 望月の頃

 

フロントガラスに勢いよく向かってきては
ふわりと避けていく桜の花びらが舞い散る中
車を走らせていると
その瞬間瞬間の場面が
スローモーションのように感じられます。
一つ一つの花びらがまるで幻であったかのように
次の瞬間には後方に流れていくさまに
儚くも美しい、散り際の美学なるものを感じてしまいます。

世の流れというのも、本来はそういうものなのかもしれません。
とかく過ぎ去ったものは美しい思い出となり
心の中に生き続けたりもするのです。
(そうでないことも多々ありますが…)

今の日本は、失敗に厳しい一発レッドカード社会ともいわれ
ちょっとした失敗、あるいは言い間違えなどをすると
たちまち批判の雨あられ・・・
その集中攻撃の容赦のなさといったら大変なもので
特に匿名性が加担されるネット上で群衆心理が働けば
もう完膚無きまで、
徹底的にたたかれてしまうこともあるように思います。

人間は本来、助け合うことで生き残るということを学び
文明化するにしたがい、生活環境も改善され
他人を思いやることが洗練された人間の証しになってきたとも言われています。
けれどその一方で
自分は他人から理解されて当たり前という甘えの構造も同時に構築され
これが更に進むと、他人を信じすぎる傾向につながり
とかく無条件に頼りすぎてしまい、それがうまくいかないときには
自分以外の他者に対して無性に腹が立つという気持を
生んでしまう事にもなりがちなのだそうです。
例えば、電車が車両点検などで遅延してしまう…
注文した商品とは違うものが届いた…
それによって実際に大きな不便や損害があったとしても
過剰な批判に対する、過剰な謝罪が求められることになります。

ちなみに人間の攻撃性の引き金となる代表的な状況は
自我が脅かされる
自分が否定される
自由が奪われるという3つがあげられるそうですが
色々な意味で全能感(自分は何でもできるし、何でも知っている症候群)が強化されていくと
それが挫かされたときショック・怒り・恐怖も相対的に大きくなっていきます。
信頼関係はとても大切ですが
そこに過剰な依存(甘え)が生まれた場合は問題かもしれませんね。

技術が進歩すればするほど、社会は良くなっていくのでしょうが
(そうでないと困ります)
そこには文明の跛行性が潜んでいることも
理解して気をつけておくことが大切なのかもしれませんね。

コロナウィルスが猛威をふるっております
どうぞ体調にお気をつけてお過ごしください

 

 

 

風が吹き抜ける感覚

 

日と夜、季節、星、月、太陽。
その移ろいを見れば、
ひとより偉大な何かの存在を思わずにはいられない

 

風が吹き抜けるという感覚は
気持ちのいいものです。
風通しの良い場所は(家庭でも職場でも)居心地がいいですし
空気がいつも新鮮な場所は
気持ちが良いものです。
近所の公園で風に揺れる木々や花を見ていると
なんだかんだ言ってもモノゴトは
自然の摂理に従うものなのかも…と思ってしまいます。

自然界の花々は結果として枯れることはあっても
今年は天候が悪そうだから咲くのをやめておこう
などとはなりません。
まずはいつも通りの生命の営みを始めようとします。
淀むことを知らない
まずはそれを基本として流れていきます。
(処世を身につけた人間には難しいことなのかもしれませんが)

場合によっては理屈をこねることも必要ですが
まずは自然の理に従ってみることも大切なのかもしれませんね。

毎日忙しく無機質に流れていく都会の生活においては
風情はどうでもよくなりがちで
不覚にも
今年もまた缶ビールの桜の花のデザインで
季節の移ろいを感じてしまうとは…

しかも思わず手に取って
カゴにも入れてしまった…(笑)

今宵は久しぶりにいただいてみよう♪

 

 

 

食は命

 

人の運は食にあり
~水野南北~

医食同源と言われるように
健康は日頃の食事によるところが大きいと思います。
身体によい食材をバランスよくとることは
健康維持の基本だと言われ
昨今では食事に不足しがちな栄養を
サプリメントで補給するというのが
かなり一般的になってきています。
サプリメントで身体の機能を
無理矢理フル回転させることの是非はともかく
何らかの栄養不足でココロとカラダに
よくない影響がでるようだとしたら
考えなければいけないのかもしれませんね。

日本のマザーテレサとも言われた佐藤初女さんは
さまざまな悩みに苦しむ人達に
おむすびや温かい料理を食べてもらいながら
話しを聞くという奉仕活動をされていました。
『食』は『命』
『食』を提供するということは
命を差し出すということ
心を差し出すということ
そこに絶望した人達が心を開き
癒されていく境界線があるのかもしれません。

仮に社会で『食』が断たれれば、暴動へとつながり
フランス革命の原因の一つも、『パンをよこせ!』でした。
パンが食べられなければ政変に直結し
お腹がすいている・・・
これで充分な理由となります。
それくらい食料は重要な問題なのです。
不自由しなければ、普段はあまり気を遣わない『食』には
それほどの力があるということなのかもしれませんね。

江戸時代の観相学の大家、水野南北は
『人の運は食にあり』と言い
粗食・小食を説いていました。
また、心理学者のスティーブン・ビンカーは
人は食事を共にすることで、結びつきを持つと指摘しています。

仲良くなりたい
もっと親密になりたいという時は
食事を共にするのがいいのかもしれませんね。

たまには星空の下、火を囲み
お酒を飲みながら語り合う・・・
そうしたことを通して
関係も深まっていくのかもしれません。

Simple is best

2019年でホテルでのご相談は終了いたしました。
沢山のご縁に感謝いたします。

 

 

簡潔こそが英知の真髄である
~シェイクスピア~

 

何でもそうだと思いますが
結局は単純でわかりやすい真実が
時の試練をくぐり抜けるのだと思います。
古今東西の難解な哲学にしても、煎じ詰めれば
人間の本性の普遍的な真実について
(手を替え品を替え)語っているがゆえに
後世まで語り継がれているのであって
当時の時流に乗っただけのものだったら
とうの昔に歴史という時の中に
埋没してしまっているはずです。

良書、特に児童書を選ぶときは
ベストセラーよりロングセラーを選びなさいというのが
基本的なアドバイスと言われますが
その歴史が長いものほど、時の試練を経ているということから
真実に近いものと言えるのかもしれません。

その昔、我が子達がまだ天使(赤ん坊)だった頃
一番興味を示した絵本も
『いないいないばあ』という、いたって単純な内容の絵本でした。

スピリチュアライズ(霊的浄化)が進むと
シンプルになるとも言われます。
古来からの秘儀の教えでも
その中には果てしない単純な反復作業があり
それを行うことなく不思議な力を発揮することなど不可能で
また儀式が複雑化すると
奇跡は起こらなくなるとも言われます。
今でもスピリチュアルカウンセラーとしての在り方を
学ばせていただいている方の浄霊方法は
おどろおどろしいところなど一切なく、とてもシンプルで
反対に、複雑な印を組んだり、こ難しい真言を唱えたりするのも
1つの方法であるかとは思いますが
レベルが高くなるほど複雑な術は使わずになっていくものかもしれないと
思った瞬間でもありました。

イエスキリストが起こしたとされる奇跡も
「嵐よ鎮まれ!」とひとこと言っただけとか
死んだ人に対しては、「起き上がれ!」と話しかけただけなど、
シンプルこの上なく
インドのサイババも、ビブーティと呼ばれる神聖灰や
色々なものを物質化させて人々に与えていましたが
ある人が、「あなたほどの意識の高い人が、なぜ偶像崇拝の儀式を行うのか」と尋ねたとき
「私は大人の中にいるときは大人になり、子供の中にいるときは子供になる。
子供がおもちゃで一所懸命になって遊んでいる時におもちゃを取り上げられたりすれば、
返してくれと泣き叫ぶでしょう。しかし子供が成長して大人になれば、
それが本物ではなかったと気づくようになり、自然におもちゃでは遊ばなくなるものだ」と言って
実際、高弟たちに対しては、違う接し方をしていたと言われています。

シンプルなものほど心を揺り動かし
無限の叡智とつながっていくのかもしれません。

 

令和初のご来光は雲が多く
水平線から昇る日の出は見れませんでしたが
綺麗な天使の階段が現れてくれました。

平和でありますように…

めぐり逢い

 

寒さが増してきました。
通勤の朝、家から駅までの道のりが
思わず早足になってしまいます。
両手をポケットに入れ
肩に力も入り
もうそろそろコートを着てもいいかなと思いながらも
ホームに並んでいる人たちの中に
どの位コートを着ている人がいるか探してしまいます。
そして、みんなが着ているようなら
私も着よう!  なんて考えてしまう自分は
なんて自主性に欠ける
付和雷同型人間なのかと…
霊的真理を学んでいる人間として
この思考形態はどうなんだろう…
と呆れてしまいます。

社会心理学の実験で
ニューヨークの街中で何人かの人が空を見上げていると
通りがかった人達がつられて空を見上げるというのがあります。
社会哲学者のエリック・ホッファーは
『好きなことを何でも自由にしていいなら
人々はいつもお互いを真似しあうものだ』と言っています。
日本人は特にそうだと言われる事が多いですが
アメリカでもどこでも人間は基本的に
みんなと同じでいたいのかもしれませんね。

 

今年もついにラストの12月になりました。
大切な人へのクリスマスプレゼントはもう決まりましたか?
プレゼント選びにデパートをブラブラするのも、楽しい時間です。
プレゼントは一緒にいられないこと(あなたのために時間を使えないこと)
の言い訳とも言われます。
プレゼントや感謝の言葉も大切ですが
「 時間を共にする 」  のが
一番のプレゼントなのかもしれません。

 

 

生後3か月弱で我が家にやってきた子猫も10か月となり
人間というところの15歳くらい…

こんなに可愛かったツンデレ姫が

 

 

 

 

こうなった・・・

 

 

 

 

あなたにめぐりあえて
ほんとうによかった
ひとりでもいい
心からそういってくれる人があれば
~相田みつを~

不機嫌な社会

おごらず、人と比べず
面白がって、平気に生きればいい
~樹木希林~

 

人間の行動を合理的に説明するのは難しいですね。
特にその行動が重要であれはあるほど
そこに主観的な判断基準が入り込んでくるので尚更です。
そこを、『客観的』とか『実証的』という言葉で飾るとき
自分の行動や言葉に責任を負いたくないという気持ちが
働くのかもしれません。

競争社会においては
結果を残さなければならないという思いと
失敗は極力避けなければならないという緊迫感の間で
心は揺れ動きます…
自分自身を超えたところに自分の存在を見い出す事が出来なければ
死ねばそれまでという存在だと感じたり
他人との優劣で自分の居場所を確保しようとすれば
弱者を作り出し、その弱者を排除することで
心の葛藤を埋めていくしかなくなってしまいます。
SNSによって、 昔より簡単に自己主張できるようになってくると
発信する方もバッシングする方も、特に匿名性においては
自分は高みの安全な場所にいながら
言いたい放題の容赦のないものになりがちです…

文科省から、いじめの認知件数が過去最高の54万件と発表されましたが
子供の世界は大人の世界を写す鏡だとも言われます。
大人社会のいじめも昨今問題になっていますが
これって
社会が病んでいるということを示しているようにも思います…

ますます不機嫌な社会、不機嫌な時代になっていくのでしょうか…

 

 

湘南キャンドルに行ってまいりました

8000個の1/fゆらぎに癒されました…

秋の気配

夕暮れ時になると
虫の声もますます騒がしくなり
夜には窓を開けて夜風に吹かれながら
その鳴き声に耳を傾けていると
妙に心が落ち着いてきます。
夏の喧騒から秋の静寂へと季節が巡るたびに
自然の彩りに対する感性が
豊かになっていくようにも感じます。
食材の変化や風景の移ろい、街の空気や空の色など
天高く馬肥ゆる秋…
空気も澄んでくるように思います。

人類はこれまで自然を自分達に都合のいいように作り変えてきましたが
それでもなお自然からの制約の中に心地良さを感じてしまうように
できているのかもしれませんね。
秋の味覚を楽しみつつ
地球に生きる一つの種として
謙虚さをもって地球の未来を考えなければ…
などと思ったりします。
地球環境の問題も結局は人間のエゴで
人類にとって住みやすい環境と、地球にとっての望ましい環境は
果たしてイコールなのか…
これがガイア理論の基本なのだそうです。

古来より日本人は自然の中に神を見出し
自然との共存を大切にしてきました。
自然は征服するものではなく、共存するものであり
それが惟神の道(自然に即して生きる)ということでもあります。

科学の進歩によって人類は莫大な知識を手に入れたのに
それに相応して叡智を身につけたわけでもないという皮肉も言われます。
科学が進歩すればするほど宇宙や自然、命が
いかに不思議に満ちているのかがより鮮明になっていき
それは同時に、それらが一体どういうものなのか
克服できない矛盾として立ちはだかるという逆説的なことも起こっています。
スポーツ選手が十字を切って決戦に臨む姿を見て
合理的ではないと思ったりする感覚は逆に時代遅れで
最新の科学は、以前には非合理だと思われていたことが
人間としてはかえって合理的だということを解明していきます。
そもそも人間の根本的な性質は数千年の間でもたいして変化もなく
(聖書はいまだに世界のベストセラーです)
誰でもアインシュタインの愛用したペンであれば使ってみたいと思うでしょうし
反面殺人犯の着たセーターは着たくはないのです。
人間の本質というものを理解することがとても大切で
理論に人間を合わせるのではないのでしょうね。

さてさて
まもなく突入する5Gとやらの時代
FacebookやPayPayですら未だに使えていない私が
ついていけるはずもなく…
そう考えると社会の進歩と悠然と生きるということは
一致しないのかもしれませんね。
私だけかな。。。

 

君待つと 我が恋ひをれば 我が屋戸の
すだれ動かし 秋の風吹く
~額田王~

一杯のコーヒーに思うこと

たとえあなたが少数派であろうとも
真実は真実なのです
~マハトマ・ガンジー~

 

狭い間口の急な階段を上がり
レトロな入り口をくぐると
何だか異次元の世界に迷い込んだような趣のある店内
アンティークな調度品と照明のほのかな灯り
テーブルの上にはガラスの灰皿が置かれていて
ここは禁煙じゃないのねと思うとともに
そのことが、ここはコーヒーを
「そういう楽しみ方で飲むところ」と主張しているようで
こんなところがあってもいいかも・・・と思ってしまいます。
店内にはジャズが流れていて
薄暗い灯りの中で聴くジャズの音色には
気持ちを内省的にさせる何かがあるように思えます。
特にジャズのスタンダード曲、
ルイ・アームストロングの「What a Wonderful World」は
これまで使われてきた場面から(映画 グッドモーニング, ベトナム)
人間性に由来したどうしようもない陰影がその背景として感じられ
結局は仕方ないというあきらめと
にもかかわらず、
人間を取り巻く世界は素晴らしいと感じさせるところがあります。

私が小学生の頃は、まだベトナム戦争が激しく展開されていた時代で
枯葉剤の恐ろしさや、写真を通して伝えられてくる悲惨な状況に
日本に生まれてこれた幸せを漠然とながらも感じていたことを覚えています。
特に写真は言葉や音を持たないからこそ
見る人が自ら想像力を働かせ、一枚の写真の中にある真実を
主体的に読み解く力を与えてくれるのだそうです。
だからこそ一枚の写真は、時として世界を変えるだけの力を持つのかもしれません。
ピュリッツァー賞を受賞した「戦争の恐怖」は
アメリカの反戦運動を加速させたとも言われています。
最近でもシリア空爆で、自ら建物の下敷きになりながら
がれきに埋もれた妹をつかむ幼い姉の写真が報道されましたが
人間の本質は善なのか、悪なのか、
それとも単に未熟なだけの存在なのか・・・
よくわからなくなります。

またひとつ歳を重ねる9月…
がんじがらめになっていく心と体の行き着く先には
一体何が待っているのだろうかと
冷笑的に眺めている別の自分も感じつつ
この世には今日食べるものも無く
星空の下眠りにつく人が多く存在することを思えば
衣食住が足りて私利私欲に毒されなければ、幸せになれると考え
毎日が平穏に平和に過ごせる事に
感謝するのがいいのかもしれません。

温かい人間性を失わないよう
常に愛で満たされている(ことに気づける)
自分でありたいと思います。

平日自宅カウンセリングのご案内

9月14日(土)~9月30日(月)は

平日も含め、自宅にて終日カウンセリングを承ります(対面・電話共)

前日のご予約など、できる限りご希望に添えるようにいたします。

ホームページのご予約・お問い合わせ欄、またはnaitolucia@gmail.comまで

お気軽にお問い合わせください。