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大切な存在

人が生きるために必要なもの
それは
酸素と水と栄養と
自分ではない大切な誰か

 

精神分析学者のフロイトが

「意識のあるこころは単なるうわべであり

人は脳の中で実際におきている90%に全く気付いていない」と語ったように

私たちは自分自身で思っているほど自分の運命を

自分の管理下に置いているわけではなく

自然法則(神の意志でも)に沿って

生かされている存在でもあるのでしょうね。

思考は現実化するというのであれば

自分自身の意識によっていかに自分の人生が

作り出されているのかを確認していくことが

人生にとっては大切なのかもしれません。

本当は自分の中の無意識のささやきに

耳を傾けることが大切なのですが

人は大抵の場合、対人関係の中で自分の存在を確認していきます。

自分の生きた証が、自分一人の中で自己完結的に

感じられればそれでもいいのかもしれませんが

現実には、仕事であれば他人からの賞賛は気持ちの良いものですし

特に子供であればパパやママから褒められたいのです。

社会の中での賞賛ももちろんですが

社会集団の最小単位としての家族の中での意味というのは

自分の人生を考える上で最も大切なものであり

人は自然とそこに価値を見出していくのかもしれません。

 

ある映画の中で主人公の男性が

他人にとっては何の意味もない

亡き母の形見の70年代のヒット曲を集めたカセットテープを

危険を冒してまで取りに行く場面があります。

 

『なぜそんなものを取りに行くの?』

『大事なものなんだ!』

 

大切な人との思い出はいつまでも残りますし

何が何でも残したいものです。

これが人と人との絆を深めていく事であり

何ものにも囚われず、自由に生きていくのは

何の基盤(拠り所)もないということでもあるので

それが果たして良いのかは疑問です。

守るものが自分自身以外に何も無いのはなんだか悲しいですし

大切な人のために何もできない存在になってしまうことほど

寂しいことはないと思うのです…

 

 

二人の子供も成人し
今では私の後をついて回るのはこの子だけになってしまった…

 

危機管理能力ゼロ…苦笑

お知らせ(2点)

 

 

 

 

 

優先順位は行動に現れる

〜ガンジー〜

 


年内をもちまして
都内ホテルラウンジでの対面カウンセリングは終了いたします。
それに伴い
初回の男性の方の対面カウンセリングも
年内にて終了いたします。
自宅で男性の方のカウンセリングをお受けできるのは
2回目以降の方(1回目が電話カウンセリング含む)、
ご紹介者のある方、
または当方主催の勉強会に参加いただいたことのある男性の方に限ります。

 


心霊講座に聴講制度を設けました。
10回修了後に、復習などのために講座の再受講をご希望の方は
一回の聴講につき1,000円(諸経費のみ)にてご参加可能です。
才能は1年や2年で開花するものでもありませんので
継続させていくことが大切になってきます。
ご縁あって学びの時間を共にした方のフォローは
できる限りさせていただきます。

※参加されるときは、講座日の2~3日前までにご連絡ください。

雨の日には…

 

 

 

 

 

 

晴れた日と雨の日があって、ひとつの花が咲くように

悲しみも苦しみもあって、私が私になっていく

~星野富弘~

 

 

あじさいの花は

生きている場所でその色合いが違い

個性豊かな表情が

雨に濡れていることとも相まって

とても魅力的に感じられます。

(咲いている土が酸性なら青、アルカリ性なら赤

そして長く咲いていると赤みがかってくる)

その環境と年齢によって表情を変えていくのは

人間と似ています。

どんなところで生きてるかで

青にも赤にもなるその土壌は、とても大切です。

だからこそ与えられた場所で精一杯生きる

これがひとりひとりがそれぞれに美しくなる

秘訣なのかもしれませんね…

 

 

梅雨の時期は、おうちに引きこもって

気持ちも後ろ向きになりやすく

そんな時には

過去の自分にアドバイス出来れば

今の自分とは違うもっとましな自分に

なっていたんじゃないか…なんて

思うこともあるかもしれません。

そうした思いに囚われると

朦朧とした頭の中で

気持ちも内省的になりがちです。

そして

将来に対する悲観的な見通しに

拍車がかかっていきます…

 

週末にはあじさいの名所にでも

出かけてみましょう ♪

雨の匂いも良いものです

 

 

ぼんやりと雨を眺める

我が家のアンニュイ猫

 

【9月開講】心霊講座10回コース

 

~9月開講 心霊講座のご案内です~

 

8月中旬で募集は締め切りとなります。
7月14日現在、日曜日コースの開講は決定しております。
土曜日コースは、あとお一人の方のお申し込みがございましたら
開講いたします。

 

 

スピリチュアライズアドバイザーの認定をいただいている

師・正木りさ氏の元で学んだ英国スピリチュアリズムに

別の視点から私に気づきを与えてくださった二人の恩師

加藤眞由儒氏と葦原瑞穂氏の教え

そしてそれらを私なりに追究し深めた内容を添えて

10回の講座として勉強会を開催いたします。

 

霊視・霊聴・霊感という潜在的な力は

・生まれつき走るのが早い人

・生まれつき絵を描くのが上手な人

・生まれつき歌を上手に歌える人

などと同じように、その人の人間性とは全く無関係であり

さまざまな潜在能力を持っていることとその人の霊格の高さは別ものです。

むしろ、霊的真理・霊界の仕組みもわからず

心のコントロールもうまくできない状態で

そういった能力だけが発達してしまえば

本来ならばかかわらずに済む低い波長の領域にいる霊魂と

無防備なまま関わることになり、恐怖や苦痛に苛まれ続けることになります。

 

この心霊講座では

潜在能力のやみくもな開発を目的とするのではなく

霊性の向上を軸に霊能開花を目指してまいります。

実技のレクチャーは基本ございません。

霊視・霊聴・オーラ視などの現象を単に追求していくのではなく

別の観点から霊能力という才能をとらえ

霊的真理を追究していきます。

 

スピリチュアリズムは単なるオカルト幽霊学ではなく

人生哲学です。

その背後には不滅の霊魂とどう向き合い

死後の世界をどうとらえていくのかという崇高な思想が隠されています。

またものごとは比較・対比することで理解が深まるという観点から

(光と影、幸不幸など…)

あの世を知ることはこの世を知ることにつながっていく

この世で生きるということがどういうことなのかを知っていく

ひとつの手がかりがスピリチュアリズムにはあると思っております。

10回の勉強会では、心霊学だけではなく

歴史・哲学そして物理学などの側面も絡めて

霊的真理をお伝えしてまいります。

各回の題目及び詳細は以下の通りとなります。

 

第一回 スピリチュアリズムの基礎知識①

スピリチュアリズム勃興の背景と現代における意義

霊界の構成・霊的身体観 他

第二回 スピリチュアリズムの基礎知識②

感応現象・憑依憑霊現象・チャクラについて 他

第三回 スピリチュアリズムの基礎知識③

背後霊

先祖供養・水子供養(歴史的背景も含めて)

仏像について 他

第四回 スピリチュアリズムの基礎知識④

死と睡眠

お迎え現象・死後の生活 他

第五回 スピリチュアリズムの基礎知識⑤

ヒーリングの意義

病の原因・霊障 他

第六回 才能と体質からみる霊能力

波長の法則との関係性における霊界通信

物理学とスピリチュアル 他

第七回 進化と分離

霊的な変化による進化

スピリチュアリズムと古神道 他

第八回 霊性の向上と瞑想

オカルトとスピリチュアル

宗教からみるスピリチュアリズム勃興

呼吸・言霊

瞑想について考察 他

第九回 宿命と運命

光さす方向へ

運命と自由意志

カルマについて 他

第十回 普遍性の観点から『神』を考える
心霊現象が起こるメカニズメカニズム 他

全10回 各10,000円
(講座料金はその都度のお支払いで結構でございます)

 

★土曜日コース

毎月第1土曜日 12:00〜6時間前後
募集人数 4名
( 男女共可 最少遂行人数2名 )
第一回講座 2019年9月7日(土)12:00〜
(2020年1月は除く)

 

★日曜日コース

毎月第3日曜日 12:00〜6時間前後
募集人数 4名
( 男女共可 最少遂行人数2名 )
第一回講座 2019年9月15日(日)12:00〜
(2020年1月は除く)

 

※初回の男性の方の自宅カウンセリングは
承っておりませんが、勉強会に関しましては
初めての男性の方もお受けいたします。

 

場所: 自宅カウンセリングルーム
小田急線  柿生駅(徒歩圏内)

 

なお霊査による
霊能力強弱のお調べはいたしませんが
全10回最後まで続けられる強い意思を
お持ちの方だけお申し込みください。
うわべだけのスピリチュアリズムに振り回されることなく
生涯をかけて学び続けていけること
それが才能であり、結果につなげる確実な方法です。

終了時間につきましては、質疑応答を含めた
フリートークの時間を多めにとっておりますので
きっかり何時に終わるという勉強会にはしておりません。
「神道は言挙げせず」と言われるように
本来霊能力は椅子に座って一方的に語られる講義を聞いて
開花していくものでもなく、
霊能開花のための手段方法というのは
完全に個人的なものです。
ですから他人の方法をまねているだけでは
結局は行き詰まりを感じてしまいますが
多くの先達たちの努力によって確立された方法を参考にし
色々試してみることは
自分のスタイル・自分らしさを見出すための
有効な手段にはなりえます。

受講ご希望の方は

  • お名前
  • ご住所
  • 携帯番号
  • 生年月日

をご明記の上

naitolucia@gmail.com

までご連絡お願いいたします。

 

霊的真理というものをご一緒に追究していけましたら
幸いでございます。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

あなたがもし疑いをもって私のところに来るなら
私はあらゆる疑う理由をあなたに与えよう。
しかしもし愛を持って私のところに来るなら
私はあなたの想像を超えた愛をあなたにみせてあげよう
〜ハイラカン・ババジ〜

 

 

癒しの存在。。

パソコンをしている時はすぐ隣でオネム…

諱(いみな)

 

 

昔は自分の本当の名前(忌み名・真名)は

むやみに人に明かさなかったと言われています。

本名はその人物の霊格と強く結びついたもので

その名を口にすると

その霊的人格を支配することもできると

考えられていたためだそうです。

悪意のある人に知られてしまっては大変ということなのでしょうね…

そのため普段は通り名(ニックネーム)を使っていたのだとか…

男性だけではなく、一部の高貴な女性を除いて

昔の女性の名前は記録にも残っていません。

(清少納言も紫式部も本名ではないので)

 

アメリカの天文学者カール・セーガンの言葉に

『私は水とカルシウムと有機物のかたまりで

100兆ほどの細胞からできている。

あなたもわたしもほとんど同じ分子でできていて、

名前だけが違っている』

というのがあります。

自分という人間が他人と違っているのは

究極的には名前だけ…ということなのかもしれません…

生まれた時から『〇〇さん』と繰り返し呼ばれ続ける名前によって

『わたし』という呪(しゅ)にかけられていくのです

 

 

新しい命を迎えました。

今はブログを書いている私の膝の上で眠っています…可愛すぎる♡

 

子供の名前を考えるときもそうでしたが

名づけに関しては色々と考えます。

つまらない名前をつけてつまらない人生にならないようにと

わが子の時も(それなりに)悩みました。

人間とAIをわけるものは、一般的には『意識』と言われますが

感情移入できる能力でもあるようです。

例えば名前をつけることでその人やものを特定できるので

感情移入も容易になります。

家畜にも名前をつけたら(ベイブという名のブタがいましたが)

簡単には屠殺などできません。

なのでちゃんと名前で呼ぶことが大切なのです。

心をつくる時間

 

 

人生では1+1 が 2 にならない

さまざまな状況が複雑に絡み合っています。

そして選択肢がたくさんある中では

何かにつまづくと

「自分にはもっとふさわしい生き方があるはず」

なんて考えてしまいがちです。

成功と失敗の確率にはネガティブバイアスがかかるため

どうしても失敗と思える確率の方が高まるのだそうです。

それに、思い入れが強ければ強いほど

ダメージもそれ相応に受けますから。

そんな時よく言われるのが

結果ではなくプロセスに価値があるのだと…

でも99%無駄な努力をしていることだって実際のところはあって

でもその無駄な努力をしている過程で心がつくりあげられていくのだとしたら

色々な努力を積み重ね

スランプだったり、七転八倒する時を経験するのは

目的を達成する以上に大切なことなのかもしれない…

 

いつも上手くいくとは限らない人生では

ダメだった時の結末を受け入れる覚悟と

その上で進む(或いは退く)勇気が必要で

とは言え、24時間365日そんな悲壮な態度でいられるはずもなく

それでも最終的には

「徹しきれぬ者、それは弱き者」ということなのかもしれませんね。

 

人間、前を向いてさえいればどこまでも進めます。

「もうダメだ…」と思ったら、

鏡の前に立って自分の顔を眺めてみましょう。

まだ笑えるようだったら、きっと大丈夫。

精神主義に陥いりすぎてはいけませんが

(心頭を滅却しても熱いものは熱い、そして苦手な人はやっぱり苦手…苦笑)

気持ちの持ちようは大切です。

 

 

結果を出せないと

この世界では生きていけません。

プロセスは、野球選手としてではなく

人間をつくるために必要です。

~イチロー~

本当の自分にもどる瞬間

日々少しずつの積み重ねというのは

色々なところで現れてきます

長年の努力の末やっと報われたということもあれば

少しずつのダメージがじわじわ効いてきて

崩れ落ちるという負の効果もあるかと思います。

仕事や人生において

道半ばで倒れてしまった人達に対して使われる表現でも

「あの人のラストストローは何だったのか」というのがあります。

重いわらの束を背負うロバが限界点を越えて

最後のたった1本のわらを背に乗せたときの

崩れ落ちる様子にたとえての表現ですが

これまでどんな事にも耐えてこれたのに

そんな些細なことで倒れてしまうのか…ということもあるのです。

仕事や人生のあらゆる場面でのティッピングポイントは

突然訪れるように感じます。

でもそれは、水が蒸気になったり氷になったりするように

その限界点を越えたということであって

それまでのプロセスを考えれば、本当の意味では突然はなく

突然の愛の破局といわれるものも

それまでのお互いの心に気づかなかっただけというのが

ほとんどなのかもしれません。

本当に大切なものほど、それが足りているときには

その大切さに気づかないことが多いのです。

空気や水のように…

でもいったんそれが不足したときには大変なことになります。

ある瞬間にそれが大切なものだったと気づかされるのです。

あって当たり前だったものや、居てくれて当然だった人がいなくなった時

初めてその大切さが身に染みてわかる…ということもあります。

そしてそんな時というのは

いつもは虚勢をはっていたり、ごまかしていた自分が

本当の自分に戻る瞬間なのかもしれません。

 

長男君の渡米の日が、刻一刻と近づいてきました。

今回も4年間の予定なのですが、今回はさらに厳しく

最初の2年間は日本の土を踏むことさえ原則許されておりません。

今の仕事を選んだ時

「親の死に目には会えないという覚悟を持って…」と父に言われておりましたが

きっとそれは現実になるのでしょう…

人間の幸福の形に決まった型などはなく

一緒にいることだけが重要なのではなく

それは最後に大切になるのは心の問題だからです。

 

いずれにしても、この世のすべての現象は

自分も含めて

全てかりそめなのだ…

 

 

夢かうつつか幻か

この世のことはかりそめぞ

~源氏物語~

 

 

 

 

誘い(いざない)

 

 

人間には暴力に対する

ある種の憧憬というものがあるのかもしれません

映画でも破壊や暴力を描いたシーンの方が

ワクワク・ドキドキするものですし

『征服したい』とか『ねじ伏せたい』という欲望は

暴力がその基になければ出てはこないものです。

その暴力とは何も身体的なものとは限らず、精神的なものも含まれていると思います。

色々とカモフラージュされているとはいえ

世界を動かしているのは、あるいは統制・制御しているものの根底には

こうした暴力があるのかもしれません。

例えば愛の力というと暴力とは正反対のようなイメージがありますが

力の行使という意味では、暴力的な性質があるとも言えるかもしれません。

あなたのためを思って…

あなたの幸せのため…という理由で

相手の気持ちを置き去りにするような愛の使い方をしたことはないでしょうか…

(昨今では「しつけ」という名の虐待もよく聞きます)

 

民主主義というのも結局は、多数決の原理に基づく数の(暴)力の面もあり

結局は多数派の意見で動いていくのです。

相手を貶めるために手段を選ばなければ、徒党を組むことから始まり

欺瞞的になるとどんな手段にでも出るようになってしまうのかもしれません。

何が本当に人間の心を魅了するものなのかは

永遠の問題なのでしょうね。

『かっこよさ』『優しさ』にも色々ありますし

人は幸福とか公平が何よりも好きな反面、心の一部ではそうじゃない要素も求めていて

家柄の違いから不当に引き裂かれるような悲恋も好きなのですから…

 

さて、次男君は大学のサークル仲間と

今朝6時過ぎにスキーに出かけていきました。

それも、3時間前の夜中の3時に

「あ!そうだ!!。スキーの用意してない!!」と急に思い出したらしく

もうそれからすったもんだの大騒ぎ・・・

ウェアーはどこにあるんだ?、手袋は?ゴーグルは?と

夜中の3時過ぎから、父と3人で荷物の詰め込み作業に追われる始末。

しまいには、スイミングのゴーグルを持ち出してきて

「もうこれでいいんじゃない?」と、次男君。

「アホか!」

ここまで来るとあきれて何も言えない。

育て方間違ったのか・・・

 

 

〜誘い(いざない)〜

あなたが何で生計を立てていようとわたしには興味はない

知りたいのはむしろ

あなたが何で胸を痛めているか

そしてあこがれとの出会いを

夢見る勇気を持っているかどうかだ

あなたが何歳だろうとわたしには興味はない

知りたいのはむしろ

あなたが愚か者に見えるのも覚悟のうえで

あえて愛を、夢を、生きるという冒険を

もとめるかどうかだ

あなたの星座が何座だろうとわたしには興味はない

知りたいのはむしろ

あなたがあなた自身の悲しみの中心に触れたかどうか

そして人生の裏切りによって心を開かれたのか

それとも縮みあがり、さらなる苦痛を恐れて

心を閉ざしてしまったのかだ

わたしの苦痛だろうと

あなたの苦痛だろうとかまわない

あなたが苦痛に耐えられるかどうか

そして苦痛を隠したり、薄めたり、とり繕ったりするために

じたばたせずにいられるのかどうか知りたい

わたしの喜びだろうと

あなたの喜びだろうとかまわない

あなたが喜びとともにいられるかどうか知りたい

あなたが野生とともに踊り、手足の先まで歓喜に満ちて

わたしたちに用心せよとか、現実的になれとか

人間の限界を思い出せなどと

警告せずにいられるかどうか知りたい

あなたの話していることが本当かどうかわたしには興味はない

知りたいのはむしろ

あなたが他人を落胆させることを恐れずに

自分に正直になれるのかどうか

そして裏切ったと非難されても耐え、自分自身の魂を裏切らずにいられるかどうかだ

あなたが誠実で、それゆえに信頼できる人間なのかどうか知りたい

きれいでない日常的なものの中に、美を見い出すことができるのかどうか

そして自分の生の源は神の存在にあると言えるのかどうか知りたい

あなたが失敗に耐え、湖の縁に立って

銀色の月の呼びかけに答えることができるのかどうか知りたい

あなたがどこに住んでいようと

どのくらい金を持っていようと

わたしには興味はない

知りたいのはむしろ、悲嘆と絶望の夜のあと

疲れ果て、骨の髄まで打ちのめされて、それでも起きあがり

子供たちのためにせねばならぬことを成し得るかどうかだ

あなたが何者なのか

どうやってここに来たのか

わたしには興味はない

知りたいのはむしろ

わたしといっしょに炎の中心に立ち、尻込みしないかどうかだ

どこで、誰といっしょに何をあなたが学んだか

わたしには興味はない

知りたいのはむしろ

ほかのすべてが崩壊したとき、何があなたを内から支えるかだ

ひとりぼっちでも平気かどうか

そして孤独なときの自分を本当に

好きかどうか知りたい

 

~オライア・マウンテン・ドリーマー~

『Invitation』

 

 

 

 

人生の航海図

毎年この時期には

今年の運勢本が本屋さんの店頭に並びます。

有名どころでは、

朱色の陰陽太極図が表紙に描かれている

高島易断本暦。

自分の一年の運勢が

一冊の本の中に書いてあるなんて

どうなんだろうと思いつつも

人生という荒波を航海していくには

自分という舟に本来備わっている能力と照らし合わせた航海図が

あった方がいいのかもしれないなんて思ってみたり…

特に長い人生の中では、

自分の力ではどうにもならないような嵐に遭遇するかもしれません。

そんな時にはまさに神にすがる思いで

一冊の本の中に書いてある文字を追ってしまうのです。

そしてそれは自分自身を納得させる為にも役立ってくれます。

運勢の良くない年に悪い事が起きれば

『 だってそういう運勢だったし… 』と言えますからね。

普段は暦などには全く無頓着でいられても

守るべきもの (家族とか) ができた時とか

自分の能力の限界を感じた時とか(世の中上には上がいるので)

特に精神的なエネルギー切れを感じた時は

それまで培ってきた経験やら知恵を総動員して

そのビハインドを補おうとするのです。

そもそも人間の本性として

何にでも因果関係があるような説明を求めたくなります。

ただ単に運が良い悪いだけでは、精神衛生上耐えられないのです。

特に悪いことに関しては

何かや誰かのせいにしないと気が済まないのです。

本来世の中の出来事は全て複雑に絡み合っていて

そんな簡単に因果関係がはっきりするものでもありません。

自然=神=真理=愛=永遠=無限………を全て理解しようなんて

肉体を着ている人間には所詮無理な話しです。

だからこそ人は祈るとも言えるのです。

 

今年の目標は決まりましたか…?

短期決戦でいくか…

長期決戦でいくか…

世の中短期決戦で決まることは案外少ないものです。

特に人生の場合は…

 

 

母と二人だけで箱根に行ってまいりました

我が家から箱根への2時間弱の移動を旅行と言えるのかはさておき

どこへも出かけず、心ゆくまで本を広げたり、パソコンを開いたり

ひたすらお部屋でまったりゆっくり

つかの間の静寂を楽しんでおりました。

そんな時には自分のプライドとの付き合い方だったり

自分のアイデンティティだったりを考えてみるのもいい。

現在から過去を振り返ると

これまで自分がしてきた善い事も、そうじゃなかったことも

今自分が置かれている状況によって過去の出来事が違って見えてくることに気づく…

つまり過去の意味は、現在の思いで決まってくるということなのだろう。

そういった意味で過去の失敗を振り返ることは

(少しは)成熟している(はずの)今の自分を感じることにつながる

貴重な時間なのかもしれない。

とは言え、思い出したくないこともたくさんあるのだけれど…

 

 

思い出というものは人間が時間に贈与できる唯一の形式であって

過ぎていった時間というものは

それを偲ぶ思慕者の心の幅によって拡大されていってとどまらない

~壇一雄~

 

 

 

紡ぐ

一年という節目が近くなると

そこにひとつの意味づけを見つけたくなります。

今年はいい年だった…とか

報われないことが多かった…とか

どんなに苦労しても最後に成就すれば

恵まれた一年だったと思えるし

反対に最後がダメだと全てが台無しで

悲しい一年に感じてしまいます。

ほとんどは楽しくて、満たされた時間だったのに

最後の最後でコケてしまうと、それまでの良いことが全て

リセットされてしまうように感じられます。

これは、行動経済学者のダニエル・カーネマンが提唱した

人の評価基準に関するピークエンドの法則と呼ばれるもので

人はほとんどの経験をピーク(最も感情が高ぶった瞬間)と

エンド(最後の印象)の度合いで判断するということを意味しています。

良いことも悪いことも両方あったはずなのに

人はなぜか悪い事の印象が強く残ります。

ハッピーエンドではなかったとしても

良いことだって本当は沢山あったかもしれません…

 

さぁ、今日から悪いことは忘れて

楽しかった事を思い出すことにしましょう。

そしてクリスマスには

あなたが愛する人

あなたを愛してくれる人と

時を過ごせることに感謝して

心の一番やわらかい部分に触れるような

かけがえのない思い出を作れますように…

 

ロマンティックな季節を過ぎると一気にお正月です。

日本人ほど一度に大集団で”幸せ” を祈る国民はいない…などと

言われる瞬間です。

 

 

新宿にて

志を同じくする仲間たちとの忘年会。

ガチガチ憑霊体質の私には

他人と深いところで共感できる時間をもつことは

無理なんじゃないかと思っていたのだけれど

皆と別れてひとり帰る道すがら

ふと頭をよぎった「一味同心」という言葉…

思わず類魂という存在を考えずにはいられなかった。

類魂というのは自分を助けてくれる人

自分に優しく接してくれる存在だけを指すのでは決してなく

むしろなんでそんなに意地悪をしてくるのかと思う相手が

実は自分に深い学びを与えてくれる魂だったりもするのです。

けれどやっぱり自分と感性が似ている相手だと

一緒にいても身構えることなくほっとできるし

話していて楽しい…

私にもそういう存在ができたこと、いてくれることに

感謝しかない…

 

 

 

前に読んだ本をあらためて読み返してみると

こんないいことが書いてあったのかと再発見することっがたびたびあって

とても嬉しい。

志を同じくする友だちが遠方からやってくるのもまた嬉しく

人生の楽しみの一つだ。

~孔子~