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大人の品格

 

何でもそうだと思いますが

苦労がある分、充実するということはあるもの…

『会えない程会いたい気持ちが強くなる』

なんてことも言いますし…

けれどそうしたことを乗り越えていくというのは

言葉で言うほど簡単ではないのかもしれませんね

誰だって自分が一番大変だし

一番助けてもらいたいと思っているもの。

けれどお互いさまの精神をもつことが

大事なこともあるのではないでしょうか…

若い頃は良くも悪くも自信過剰になったり、むやみに卑屈になったりで

世の中における自分の立ち位置がわからなくなったり

無限に続くと勘違いしがちな(不幸な)人生の行く末に

途方に暮れたりするのです。

けれど時が過ぎたその後で、楽しくあるいは自慢げに語られるのは

成功談よりも失敗や苦労話しの方が多いのが世の常です。

平凡な暮らしを望み続ければ、人生が穏やかに過ぎていくという特徴はあっても

困難な中に存在するおもしろさに気づくことはないのかもしれません。

失敗や面白い体験がないのは、

それ以上に語る世界を持てないということで

話していても、延々と自慢話しだけを聞かされて

正直なところ、あまり面白くもないのです。

話しの面白い人は、苦労や危険をそれなりに負担してきている方で、

またその失敗談や苦労話をおもしろおかしく話せる人は

素敵な大人だな・・・と感じます。

 

 

許せないことがあるのは

空気や水と同じように自然なもの。

そう理解することが大切です。

最もしてはいけないのは

許せない自分を、「器の小さい人間」といつまでも悩むこと。

許せないことに出会い、それを乗り越えていくことの積み重ねで

人は成長していくのです。

伊集院静

祈りの力

 

1997年公開の

ジョディ・フォスター主演映画、『コンタクト』。

その中で全人類を代表して

異星人と最初にコンタクトする人間を選ぶ時

『私は神の存在を信じない』と言った

ジョディ・フォスター演じる女性科学者は

代表には選ばれませんでした。

全人類の94%が大切にしている神への信仰を持たない人間は

人類の代表にはなれないという事でした。

人間は、自分ではどうしようもできない状況に直面した時

神を求め、祈りを捧げたくなるものではないでしょうか…

頭でわかっていても諦めきれない

理屈を越えたところに祈りがあるのだと思います。

 

大切な人が病に倒れた時や事故に遭った時、

きっとこれは何かの間違いだと願い、

すぐ元気になる、必ず笑顔で家に帰って来てくれるはずだ思う。

やがてその希望が祈りへと変わり、どうか神様助けてください、

助けられるのはあなただけなのです・・・と祈る。

神なんか信じない、神なんかいないという人は

そういう時でも自分の大切な人が元気になりますようにとは

祈らないというのでしょうか・・・

 

次男君の手術の際、病院からホテルに帰る道で

後から追いつくからと言って、私を先に行かせた主人が

いつまでたっても現れず、心配になって引き返してみると

真冬の、日も暮れた暗闇の中、神社のお社の前で

ひとり手を合わせていた姿を見つけた時は、

心が悲しみであふれないようにするのが精一杯でした。

もう随分と昔の話しにはなりますが

こういう事を不合理と一笑に付す人は

人類の代表としてふさわしくないという事なのかもしれません・・・

 

『コンタクト』の原作者カール・セーガンは、アメリカの天文学者で

著者『コスモス』の冒頭のページに、妻のアン・ドルーヤンに贈った

素敵な言葉が書かれています。

『限りなく広い宇宙、永遠に続く時間の中で、アンと同じ惑星、

同じ時代に生きることを喜びつつ…』

この言葉がとても印象的で

私のホームページにも少し文章を変えて使わせて頂きました。

人と人との出会いがいかに不思議で貴重な事なのか

考えさせられる言葉です。

 

人は何を祈るにしても、奇跡を祈るのである。
祈りは悉く(ことごとく)次のように要約される。
「偉大なる神よ、2の2倍が4にならないことをお聞き届けください」

~ツルゲーネフ~

 

孤高に生きる

週末の夕刻、たくさんの人で賑わう街で

感受性の結界を全解放し

辺りを見回していると

すごくプライベートなことを話してる人の声が

聞こえてきたりして

それぞれの人生の断片が感じられます。

思わず耳を傾けて『 へ~そうなんだ… 』と色々想像してしまったり

穏やかな幸せ…

刹那な喜び…

深い悲しみさえも…

 

傍観者にとっては、陽気と思える語らいの中にもひっそりと佇む悲しみだったり

淀んで流れていかない悲しみの中にもささやかな幸せが潜んでいるのを

感じることもあります。

こういう色々なものが一つになった雑然とした喧騒の中で

一人孤独になって物思いにふける瞬間も、「善きかな…」なんて

考えていました。

 

三木清も人生論ノートの中で

「孤独は山にはなく、街にある。

一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の 【間】 にある」と述べていましたが

都会は孤独だなぁと感じます・・・

都会には沢山の人があふれているというのに、

その中を一人歩く時、強く孤独を感じたりするのです。

SNSで簡単に他人と繋がれたり、一見結びつきも強化されているようで

その実、今ほど人と人とが遮断された時代もないらしい。

 

 

さてさて、今月は私の誕生月・・・

今日はみんなの予定を合わせて、焼肉を食べに参りました。

この年になると誕生日がうれしいわけでもないのですが、

家族で出かける機会もめっきり減りましたし

わざわざ都内まで食事に行くのを嫌がる次男君を連れだす格好の理由とはなります。

本当はイタリアンが食べたかったのだけれど

次男君から「肉っ!!」とリクエストされましたので

恵比寿ガーデンプレイスの焼き肉屋さんへ・・・

 

食事の合間、

眼下に広がる光の海を眺めながら、自分の人生を考えてみたりしておりました。

 

 

天から与えられたこの機会を前にして

この先どんな選択をして

生きがいや人生の意義との繋がりを持って

日々それを実践していくのか…

良いも悪いも全て受け入れ

生きた時間を過ごすよう心がけていきたい。

人とのつながりも(最低限)大切にしながら

孤高という生き方を楽しめる自分でありたい。

 

 

~孤独な鳥の五つの条件~

一、 孤独な鳥は、高く高く飛ぶ

二、 孤独な鳥は、仲間を求めない,同類さえ求めない

三、 孤独な鳥は、嘴 (くちばし)を天空に向ける

四、 孤独な鳥は、決まった色をもたない

五、 孤独な鳥は、しずかに歌う

~サン・ファン・デ・ラ・クルス~

曖昧さ

今までの人生で、自分の理解や許容範囲を

超える事態に直面した時

責め立てる対象を無理にでも作り上げ

そこに向けて不満や憤りをぶつけて

発散させようとしてしまったことは

ないでしょうか・・・

なぜこんな事になったのか…

もしや誰かの陰謀なんじゃないか…(苦笑)

それが全く根拠のない、ナンセンスなことだとわかっていても

その中に何とか因果関係を見つけ出し、自分を納得させる理由が欲しいのです。

じゃないと、精神衛生上耐えられませんから。

物事は『白か黒か』というように、単純明解に原因を究明できるものでもなく

毎日の生活や人生などほとんどのことは、些細な出来事の積み重ねであっても

原因に対して予測できる結果も一つではないので

その因果関係はグレーな領域であるように思います。

でも人間の脳は難しく考える事を嫌いますから、

どうしても黒か白かの二者択一論に走りたがる傾向があるのかもしれませんね。

一生を通じて私達のカルマは、

それぞれの試練に耐え切れないものにはならないよう

手加減されている(らしい)ので、遭遇する出来事はそれを通して学ぶ、

あるいは、進化向上する機会なのだと捉えたほうが

納得しやすいかもしれません。

人生の途中で降りかかる災難は、それにどう向き合っていくのかという

自分の態度にこそ意味があって、出来事それ自体に深く意味を求めていっても

納得のいく答えは出てこないことの方が多いようにも思います。

中には、前世で悪い行いをしたから、今その報いがきていると霊能力者に言われ

その苦しみに耐えることこそがカルマの解消法だとして

自分自身を納得させている方もいらっしゃるかもれませんが。

けれど、大震災の時などに耳にする、

近所の高齢者を背負って避難する人もいれば

火事場泥棒まがいの行動をする人もいるように

どちらを選択するのかは自分であり、

前向きな力も否定的な力も、全て自分自身から発せられるものです。

何が自分の心に否定的な影響を及ぼすのか、向き合ってみることも大切です。

自分にとって都合のいいことばかり主張せず

(後でとんでもないしっぺ返しに遭遇することもありますから…)

謙虚な態度を心がけることが、大切なのかもしれませんね。

冷静に考えれば、『私』の都合がいつも

宇宙の摂理に適っているとは、とても言えそうにありません…

 

次男君ネタ・・

(まさか自分がここまでネタにされているとは夢にも思っていないだろう)

次男君は大学生になったはずなのに、

いまだに自分の下着(トランクス)と父親の下着の区別ができておりません。

先日もリビングのソファーに寝ていたら、父親に「パンツ見せろ!」と怒鳴られ

するするとズボンを降ろした次男君・・・

案の定父親の「おニュー」のトランクスをしれっとはいておりました。

さすがに我慢の限界を超えてしまった主人

次男君のトランクス全てに太字のマッキーペンで名前を書き書きしました。

しかも全部ひらがなで・・・

 

幼稚園生か…💧

 

相変わらず学習能力のない次男君だ。

 

 

 

本当に人を愛するということは

その人が一人でいても生きていけるようにしてあげることです

~三浦綾子~

 

 

 

 

 

過去につながる瞬間

私が子供の頃は

まだ家のそばに戦争中に作られたという防空壕があって

お友達数人と何回か中に入ったことがあります。

そんなに奥行きはなかったと記憶していますが

外の明るさとは対照的に真っ暗な壕の中はひんやりと湿っていて

臆病な私がよく中に入っていけたものだと

今でも驚きと共に思い出します。

ひとしきり探検を終えて出口に意識を向けると、思いのほか光が小さくて

近づくにつれ光の束が大きくなっていくと決まって走り出す子がいます。

一人が走り出すとそれにつられてみんなが大声をはりあげて

蜘蛛の子を散らすように走り出したのを覚えています。

 

終戦記念日が近づくと

過去の悲惨な戦争に想いを馳せたり

お盆にはご先祖様や亡くなった家族のことを偲んだりと

過去につながる時間が多くなるこの時期は

蒸し暑さがそうした感情を呼び起こしてくれるのに

一役買ってくれているのかもしれませんね。

 

まもなく太平洋戦争の終結から73年を迎えます。

日本は戦後生まれの人が人口の8割以上になり

2050年には日本から戦争体験世代がほとんどいなくなることが予想されるのだそうです。

高齢化社会という問題を考えた時にも

現在の日本を築いてきた人たちが尊厳を保てないような状況になるとすれば

ある意味社会がゆがんでいるのかもしれません。

 

お盆を過ぎると少しずつ夏の喧騒が後ろへと流れていき

炎天下の蝉時雨より夕暮れの蝉の方が

似合う季節へと移り変わっていきます。

 

それにしても

今年はいつ涼しくなってくれるのか・・・

 

知識は使ってこそ

2014年に公開された映画

『ルーシー』の中で主人公ルーシーが

普通の人間では10%しか機能していない脳を

100%にまで覚醒させていく中で

『知識が増えると人間らしさが消えていく』と言っていましたが

頭でっかちな人は往々にして人間性が乏しいのかもしれないと

感じる時があります。

知識は持っている事が大切なのではなく

使い方が重要であると言われるように

霊的知識をせっかく手に入れても

霊的真理から外れている(としか思えない)生活を送っている時は

軌道修正していくことも必要でしょうし

知らなかったのであれば仕方ないで済まされることも

知っててやるのであればそれなりのカルマを

背負う覚悟は必要なのかもしれませんね。

 

知識には責任が伴い

自分勝手なわがままなこともできるということも含めての

選択の自由ですから・・・

 

人の行動には最終的にその人ごとの本性が現れてくるもので

「優秀な外科医ほど手術の前に神に祈る」と聞いたことがあります。

一流だからこそ人間の限界を心得ていて

そんな自分が人の命を扱うことの怖さを知るからなのだそうです。

本来学びは、深めていけばいくほど知れば知るほど

自分が知ったことなどほんのひとかけらに過ぎないのだと知ることになるもので

霊能開花の手段方法も、人が知らないやり方を知っていたり

複雑なやり方(瞑想方法や印の組み方等)を知っていると

それだけで特別感があるのかもしれませんが

一見単調とも思える方法を毎日ひたすら続けていくことの方が

結果に繋がる可能性が高いようにも思います。

(最後は形ではなく心の在り方ですが…)

カウンセラーが出す本やブログに書く内容が

必ずしも本人のエネルギーと一致するとは限らないので

自分で確かめていない情報を判断基準にするのは危険かもしれません。

体験を伴っていない情報にはそもそも説得力がありませんので

それを見極めていく力が受け取る側にも必要であり

盲信しない責任が問われることになるかと思います。

(間違ったことを教えた側にもカルマとして、相手が転生した星まで追いかけて行き

間違いを訂正する羽目になりますよと師に言われたことがありました)

 

人生の折り返し点を過ぎた今

世が世なら(織田信長の時代なら)

もうとっくにこの世を卒業している年齢・・・

自分の人生にとって意味のあること、社会に貢献できることを

身の丈に合った形で求め

その中で自分の役割を果たしながら

粛々と人生を歩んでいきたいと思います。

自分らしさ

人生において

バランス感覚は重要な要素ですが

そのバランスを支える価値観は人それぞれ千差万別で

そんな中、ひとつのあるいは最大公約数的な基準で

バランスをとりなさいと言われても

そもそも無理な話しなんじゃないかと思ってしまいます。

こだわりにしても人それぞれで、普段は大雑把な人が

なんでそんな小さなことにこだわるのかと思うこともあります。

けれどこだわりは “ その人らしさ ” であり、それはただのモノの好みだけの問題ではなく

習慣だったり、考え方の基としての個性も “ らしさ ” を作るのに

一役買っているように思います。

身のこなし方や話し方、考え方が全て混ざり合って “ 自分らしさ ” になっていくのだと・・・

人生の中では自分の大切なもの(自分らしさも含め)を守るためには

時として、こだわり貫かなければならないこともあるかもしれません。

そんな中、その場の空気によって拘束されやすい人は、「自分らしさ」というよりも

「みんなと同じ」を選びやすいのだとか。

西洋のキリスト教などのような絶対的な目的(天国に行く)を持たない日本人は

その時々に有力な価値基準に従って、長いものには巻かれる的になってしまう・・・

歴史的な大事件をみると、そんなこともあるのかもと思ってしまいます。

何千年にもわたる日本人のDNAは、簡単には変えられないのかもしれませんね。